「太陽の坐る場所」あの教室に残したもの
「太陽の坐る場所」を読み終わってわたしの胸に占めた感情は、まぎれもなく(怖い!)だ。
こんなにも人の心をあけすけにしてしまう小説があったとは知らなかった!
醜くてみっともない、人には決して悟られたくない心の部分を描く、本作。
何より怖いのは、それを描くことができる作家の力だ。
辻村深月さん、、、何者!?
わたしが辻村深月さんを知るきっかけになったのが本作だっただけに、その印象は強烈だった。
この物語は高校卒業から10年後を軸として進んでいるにいも関わらず、それぞれの章は高校時代の出席番号が振られている。
出席番号二十二番、半田聡美
出席番号一番、里見紗江子
出席番号二十七番、水上由希
出席番号二番、島津謙太
出席番号七番、高間響子
彼/彼女たちを取り巻く環境は、そこまでひどいものではない。それぞれに、夢があり、仕事があり、恋愛がある。
ある程度、普通で一般的。
しかし、元同級生のキョウコの存在は、普通ではなかった。
都心のビルに特大パネルが設けられるほどの女優。映画にテレビにと、まさに画面の向こうの人になっていた。
私は?私の人生は、、?
自分の人生、今周りにあるもの、手に入れたもの、手に入るはずだったもの。
それがよぎらないはずがない。
出席番号二十二番、半田聡美はキョウコに引けをとらない美人である。
『うちのクラスで一番かわいい子っていうと、私はダントツで聡美だと思ってたんだけど、わかんないもんだね。(省略)』
水上由希がこう言うように、半田聡美は高校の頃も、そして十年経った今でも美人なのだ。
それゆえに
聡美は、あの映画もキョウコの踊りも見ていない。
半田聡美にとって、キョウコの存在は受け入れがたいものだった。高校時代、同じ教室に確かにいたはずのキョウコ。
何が違ったのだろう。
半田聡美は、28歳となった今も演劇を続け、キョウコが今輝いている世界を目指すものの一人だった。
私はあそこにいるような、ただテレビを見ているだけのあいつらとは違う。
完全に違う世界の、違う人間だとは位置づけられない。そういう認識にはしたくない。
しかしそれを表には出さない。羨ましいと素直に言えないほど、羨ましい。
大人特有の、複雑に入り組んでしまった感情が見事に描かれている。
出席番号一番、里見紗江子。
彼女の物語は、小学四年生の夏の場面から始まる。
校舎の玄関、私の靴箱から何かを取り出す、貴恵の姿。
貴恵はそこから手紙を取り出し、中を見ると、急いでそれを破った————
里見紗江子にとってその記憶は、大人になった今でも思い起こしてしまう程に重要で、一種の呪縛ともとれるものである。
里見紗江子から見える景色は、半田聡美とは違う。
同じ教室に、キョウコや半田聡美などの美人が、それほどに美人でないにしろ、独特の雰囲気で男にモテる貴恵がいる中で、彼女はこう悟る。
私は独身でいるのだろう。十七歳の紗江子は漠然と感じていた。
十七歳にしては早すぎる悟り。しかし、諦めることで、手に入らないことを認めることで、立ち位置を確立できる。
あぁ、その感じ・・・・・。暴かないでくれ!と叫びたくなるほど、わかる。
私は降りています。最初から何も期待してなんかいない。自覚があるのだから、だからお願い。比べないで。
しかし、28歳となった今、里見紗江子の状況は十七歳のあの頃とは違う。
真崎修。
貴恵が高校の頃付き合っていた男と、関係を持つようになっていたのだ。
だって、好きだった。
私は、美しい男が好きだった。
貴恵を通してしか見ることのできなかった世界。
彼女のいつかの悟りは脆く崩れ、新しいカギとして真崎修を手に入れた。しかし、真崎修というカギもまた、既婚者だという脆さがあるのだ。
小学四年、貴恵はどうして手紙を破ったのか?
これ以上語るのは、野暮かもしれない。
出席番号二十七番、水上由希。
父と祖母との三人暮らしだった彼女は、祖母の手製の服を着せられるような子どもだった。
「由希ちゃんは、田舎の子供みたいな服ばっか着てる」
小学校時代にそういった苦い記憶を持つ彼女は、華やかでおしゃれな場所を貪欲に求める。
このビルの、この匂いのする場所に入ることができるなら、バレない嘘は真実と同じだ。
元同級生たちにはアパレルブランドの職員と偽っているものの、実際には臨時のアルバイトである彼女だが、その嘘には一貫したポリシーが感じられる。
好き好んでこの哲学を選び、この背骨で胸を張る
華やかな世界が好きだ、ということ。それを貪欲に求めていること。
それでいて、聡美やキョウコほどに美人ではないという自覚も持ち合わせている。
彼女はそれを認めているからこそ、強い。
出席番号二番、島津謙太。
この本、唯一の男主人公。
男は無邪気で計算がない、というのは嘘で、島津もまた、その立ち位置を意識していた。
もちろん、相変わらず女子と話もできないような男子もいたが、それを横目に見ながら、島津は自分のポジションを改めて再認識したものだ。
自分と彼らは違う。真崎や清瀬ほどではないが、彼らまでも自分を落とし込む必要もまたないのだと。
島津は高校時代こそ、清瀬や真崎と遊び、聡美や由希などの華やかな女子に囲まれた生活を送っていたが、大学を出るとそうはいかなくなる。
島津くんのあれ、セクハラじゃない?
職場でそう陰口をたたかれる始末。
自分はこうじゃない。こんなはずじゃない、と縋る思いで、島津はクラス会の主催に躍起になっている。由希や聡美、キョウコがいたあの教室こそ居場所だと思いたい。
しかし、それと同時に、当時の罪も思い起こされる。
バーバリーの傘を見るたびに・・・・・・。
最後、出席番号七番、高間響子。
彼女は未だに高校時代に取り残されていた。
華やかなテレビの世界の、充実した仕事がありながら、あの時、自分がしてしまったことの代償を背負い続けている。
太陽はどこにあっても明るいのよ
その言葉を、かみ砕くように・・・・・・。
大人になった今でも、子供の頃の記憶の力はすさまじい。
それが骨や肉になることもあるし、自分を縛る縄になることもある。
心の奥底にしまってあったあの感覚を、今感じているこの気持ちを、この小説はえぐるように描いてしまっている。ホントに怖い!
わたしの出席番号は何番だろう?
いまから読む方は、覚悟をもって挑んでください。